インド滞在記

こんなところにいました

私は北インドウッタラ―カンド州のデヘラドュンに約3か月いました。観光地としてはあまり有名ではないですが、とてもきれいな場所です。下の写真は夕暮れ時に屋上から撮影したもの。見ての通り周辺に高い建物はなかったです。

Pratishtha(サンスクリット語で学びの場)という教育系NGOです。オーナーはインド人で私以外にも何人かの外国人がボランティアに来ていました。

このNGOの設立者の願いは子供たちに詰込み型の学習以外に気付きを与えたいというものでした。そこで私たち外国人が自分たちの言語や文化を教えたり、ヨガやスポーツなど特技を子供たちと共有していました。

日本やインドの都市部では習い事に行く機会は十分にありますが、田舎にはまだまだそのような機会も価値も認められていなかったので子供たちは自由に出入りできるこのNGOに頻繁に来ていました。

私は日本語を教えたり、折り紙をやったり、ギターを使ったりしました。

日本語クラスの様子
折り紙で1番人気はパッチンカメラ

街から村へ

このNGOはもともとデヘラドュンの中心部にあったのですが、私が行ったと同時に農村部に引っ越しをしました。

農村部では外国人を見たことがない人も多く、私が最初の村に来た外国人だと言われたこともありました。引っ越しの数日前に村で結婚式に参加。インドの結婚式では女性のみで踊る時間があるのですが、私はダンスが大好きなのでそこで村のアンティ(おばさん)達と一気に仲良くなりました。

エアコンもない猛暑に踊りました(笑)
サリーを用意してくれて近所のテーラーでサイズ調節までしてもらった

農村での幸せ

村では外国人への珍しさや当時、私はヒンディー語がとてつもなく下手くそだったとはいえ何となくコミュニケーションが取れたので面白がってたくさん話してくれました。彼らの会話はガルワーリーという現地語があるので理解できないことも多かったですがそれでも私と話すときにはヒンディー語に切り替えてくれて助かりました。

毎日、道で会うと私の名前を呼んでくれる人がそこら中にいて、Yuki ! Didi!(お姉さん)という声が絶えませんでした。夕方になるとチャイタイム、牛乳を分けてくださる方、家に呼んでくれる人、日本の事や家族のことを聞いてくれました。彼らと話していて本当に彼らのやさしさを感じました。

夜には畑中に舞うが印象的でした。インド=汚染がひどいというのは偏見だと目で確かめました。後日、帰国してからインド人の先生がインドでは汚染がひどくて蛍なんていないよと言っていたのを見て、こうして外国人もどんどん誤解してしまうのかと思ったりしました。

大好きな村の皆さん(カメラマンが多すぎてあちこち見てます(笑))

NGOで難しかったこと

私はできて間もないNGOにいて難しかったことは主に異なるコミュニティへの障壁の大きさです。NGOには当初、主に3つの宗教、3つの村、異なる階層の子供たちが来ていました。

来ていた子供たちはまだ小学生くらいの子がほとんどだったので子供達は別のコミュニティの子供に直接的な壁を作ろうとしているようには見えませんでした。ただ、彼らの親の中には「あそこには行くな」といったり、「他人と踊るなんてだめだ」と言った人もいたようでいつの間にか壁ができてしまっていました。

そこで私たちはそれぞれのコミュニティを訪問してお寺や集会所でそれまでのような活動を行ったりもしました。そこには大人の姿もあり、多くの人が興味を持ってくれました。

子供達に直接、「仲良くしなさい」と言ったり「自分と違うコミュニティの人も敵ではない」というのは全く無意味だと感じました。なぜなら彼らのせいではなく、親たちの意見だったからです。

私は個人的に、彼らが外国人という全く自分と異なる要素だらけの人も一緒に過ごせば楽しかったな新しいことを知ることができたなと記憶のどこかにとどめておいてほしいなと思って活動を進めました。

現地の人たちとこれほど話すきっかけを持つことができたのは地域から一定の信頼を得るインド人の設立者がいたことと、通訳を介さずに会話ができたため気軽に言葉をかけてもらえたことが大きな理由だったと考えます。

一気にインターナショナルビレッジになりました

まとめ

私が経験したインドは都市でもなく観光地でもなかったですが、何もないようなところに私には本当にたくさんの記憶があります。その一瞬、一瞬が特別で今も心の中で輝いています。

インドでは会話がたくさんあって良いと言ってしまうとインドに限らず、そんな国は他にもたくさんあると気づきました

ではなぜこんなにも私がインドのこの小さな村で楽しかったのかと未だに考えていますが答えはありません。

この経験を踏まえていつか日本の子供達と自分がいたNGOの子供たちがSkypeやzoomを通して話せる日が来てほしいなあと思う今日この頃です。純粋な子供たちにとって外国人との会話に驚きや感動があれば良いのです。これからの時代、国境や人種などを問題にしているべきではありません。ただ残念ながらまだまだそんな問題がなくなっているようには見えません。

日本は単一の民族だからと言っている時代ではないのです。身近にいつ誰が心を痛めるか分かりません。

それはインドのような多民族国家であれば尚更です。彼らの場合、国を超えるどころか小さな村を超えるだけでも不信感を感じるように育てられている場合があります。

こんな状況が少しでも改善に向かうことを願うばかりです。こんな思いとともに今、私は言語というものを通じて様々な活動に取り組んでいます

投稿日:

執筆者: