小さな幸せ

日本で小学生に『ナマステ』と言われた話

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ついこの間、近所をインド人の友人と歩いていると

遊んでいた小学生が突然私たちの方を見て手を合わせて言ったのです

「ナマステ」

私たちは驚いて目を見開いて「ナマステ」と言って1度は通り過ぎた。

一緒に歩いていた友人が「あの子はどうやって分かった?聞いてみよう」というのでもう一度少し通り過ぎたところを戻り、尋ねた。

私:「どうやってその挨拶を知ったの?」

子供:「英語の授業で」

私:「英語?!どうやってインド人ってわかったの?」

子供:「英語の教科書に世界の国々の人の絵と挨拶が書いてあったから」

私たち:「そうなんか?!ありがとう」

こうして感動しながらの帰り路、

友人「日本でこうやって道で遊んでる子供に声かけられたの初めてだったし、それがナマステでびっくり」

私「そうよね。私も初めて。」

同じ人間同士という感覚

この日、自分が英語を学び始めた頃との差をひしひしと感じました。確かに今住んでいる所は私の実家近辺と違って外国人も多いので子供達も自然と話しかけれたのかもしれません。

ただ、日本人同士でさえ知らない人には声をかけない雰囲気の中であんなふうに声を掛けられる少年がいたことに感動しました

そして教科書の作りにも驚き。

私が中学の頃の英語の教科書はアメリカ人かイギリス人かせいぜい中国人くらいしか出ていませんでした。

とっさにインド人かもと思ってさらっと言えた彼の一言が私たちの心を本当に和ませてくれたのでした。

こんな素敵な教科書の意味を子どもたちが無意識に取り入れられるって素敵。みんなが幼い頃から海外に行ってこの価値観を身につけましょうなんてできません。それでも現代では必要な感覚だと思います。

こんなふうに外国人日本人という感覚が少しでも減って同じ人間っていう感覚が身につく子供が増えていくことを願っています。

純粋な子供だからこそ得やすい感覚なのかな。

大学生くらいになるとどこの国がとりわけ好きとか、嫌いとか、程度を過ぎて言ってしまうことも増えるように感じるのです。

また「世界何か国に行きました。」というのもある意味で各国の違いを助長しているように思えてなりませんでした。

もちろんそれぞれの個性を認めることも大切なんですが、時々、違いの付け方に違和感を感じることがありました。

何が良いのか正解は分かりませんが、小さな少年を見てこんなにもうれしくなったのです。

そして幼い頃に何気なく身に付いたその同じ人間同士という感覚が誰かによって、または何かによって妨げられることがないといいなと心から思ったのでした。

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