ヒンディー語には資格がありません。
これをラッキーと考えますか?
それとも認められにくくてツライと考えますか?
どうでもいいと考えますか?
どれもあると思います。
私の場合、専攻として選んでしまったので最初のうちは少し、悔しいと思ったこともありました。
特に1年生の最初の方で、将来はバリバリのキャリアウーマンになりたいと思っていた頃、「インドでは仕事ではほとんど英語です」と言われた時、では自分は何のためにヒンディー語を学習するのか?と思ってしましました。
目次
みんなが言うカッコイイ=自分が思うカッコイイだった過去
私は田舎育ちです。小さい頃から先生や周囲の大人に強く反抗することはなく、ちょっと良い子でした。
なんとなく良い成績を取って良い大学に行って良い会社で働ければいいなという思いを抱いていました。
その時々で一応、私は○○になりたいと言っていましたが一貫して心のどこかにあったのは「良い大学→良い会社」のコースを歩むこと。
高校生の頃は田舎の進学校で国立大学=良い先生がいる、良い学生集まる、授業料も安くて最高というイメージを徹底的に植え付けられました。
親に促された記憶はないのに、、、。
あとで気付いたのですが、旧帝大レベルに入れる学力があるなら施設がきれいな私立大学での特待生授業料免除を狙った方が相当お得(笑)
そして何より今思えば、試験の受かり方には事細かに教わりましたが、夢の探し方は方法どころかそんなことを考える余裕すらありませんでした。
そしてなんんとなく数学は苦手だったので文系に入り、何となく外国に興味があって外国語学部を選びました。さらに有名な国立大学で何とかは入れるかもしれないと謎の自信を持って志望しました(大学を決めてから2年間くらいはずっとE判定でしたが(笑))
まだまだ個性がなかった自分
私は大学に入ってヒンディー語を専攻して、ベリーダンスサークルに入って自分では今までに見たことのない世界で新たな人たちに出会い、少しは変わっていると思っていました。
ただ、見方を変えれば、大半の周囲の人の目指すことは「なんとなく安定した企業に就職すること」、強い思いは「阪大に行って名の知れた就職しないのはもったいない」ということだったんですね。わりとみんなはっきり言ってました。
これって大学受験と同じに見えたんですよね。
そして自分もよくわかっていなかったので少し納得してしまっていました。
そうなった時、ヒンディー語を社会で認めてもらうにはどうしたらいいんだ、せめて資格があれば良かったのにという思いがありました。
休学して個性の大切さに気付く
私は休学して世界10か国の人と船に乗ったり、フィジーでしばらく過ごしたり、インドのNGOに長期滞在したりしました。
これらの経験の中で「identity」というものの大切さに気付きました。
それは「happy」に生きるためには欠かせない「tips」だと思いました。
「identity」は自分ならではの何かに気付かせてくれます。
それは良い意味で自信になり、時に新たな人に出会うきっかけにもなります。
世界中を見渡せば大学を卒業していつ会社に所属しても良いという考えの人はたくさんいます。それまで卒業したらか4月から全員入社!という環境から大きく変わりました
とりわけ面白かったのはインドのNGOにいた時です。外国人の小さなボランティアハウスにいたのですが、ある時そこには「ブルックリン出身のヨガ大好きおじさん」、「大学卒業後ヨガをやりつつ世界を旅するアルゼンチン人」、「帰国したらすぐ就活するというフランス人がいました」
私はどちらかというとフランス人と同じ状況だったのですが、前者の二人に大きく概念を覆されました。
特にブルックリンさんは自身の経験を踏まえて「大きな会社に入ることがゴールになった時の危険」や「大きな組織に所属して発展途上国の支援などを行う難しさや歯がゆさ」を熱弁してくれました(笑)
それでもフランス人の彼はまだまだ焦りまくった様子でしたが、単純な私はそのブルックリンさんの言葉も一理あるなと思ったのです。
さらに1番仲が良かったカナダ人のルームメイト。彼女は夢ややりたい事を色々と語ってくれました。そして私と同じ年齢なのに何の焦りも見せなかった。
正直、今まで出会った同世代と違いすぎて「なんなんだ!!」と思いました。ですがその反面、すごく気持ちが自由になりました。
インドでヒンディー語を個性として初めて実感
私はインドでは小さな村にいたので英語だけでは全くコミュニケーションをとることができない状況でした。
その環境で外国人の中で自分だけが唯一、ご近所さんと話せる人として活動しました。
ここで気付いたのです!
私にしかできないことってあるのかも!
もちろん私のボランティアハウスには様々な目的の人がいました。中には単に安い料金で滞在するだけの人もいました。ただ多くの人は現地の人とコミュニケーションしたいという気持ちがあり、ボランティアハウスで簡単なヒンディー語を共有したりしていました。
その頃の私のヒンディー語力はとても高いというわけではありませんでした。それでも自分の個性として気付くことができました。これは後の私の活動の助けになりました。
教えるという立場になって気づいたこと
私がこれまでにヒンディー語を教えさせていただいた人たちは様々な目的で学んでいらっしゃいました。
インドでは仕事は大半が英語とはいえ、ちょっとした日常会話やインド人同士の話も理解できるようになりたい、大好きなインド映画を理解したいという方がいらっしゃったのです。
そこで私は気付きました。それは言語を学ぶことは一種の個性をつくることであるということです。
よく言語はツールと言われますが、そのツールが広げてくれる可能性は限りなく広いのです。もちろん、その言語をどのような場面で活かすかにもよりますが。
そして点数化されない言語だからこそ、その言語がもたらす損得を考える前に味わうことができるのだと思います。
そしてその言語を味わう余裕があると個性となりやすいのです
もしこれが点数化される言語であれば、もっと自信を持つまでに時間がかかると思います。そして私たちの個性として実感するまでに時間がかかったり、点数によって一喜一憂することになりかねません
実際、私は大学受験の英語が非常に苦手でした。今思えば、学んでいること自体が自分を形成していたのに点数というものが私にそれに気付かせることなく、自分は英語にも海外にもこんなに関心があるのに英語ができないという思考だけがどんどん強くなっていきました。
もっとも、その後、学ぶ目的が点数ではなくなってからは実に充実した英語学習ができています
個性のヒンディー語はコミュニケーションのきっかけに
日本では個性をアピールする人は一定数いますがまだまだ多くはないように思います。
私の身近にいる外国人たちが良く言うことは日本人の若者と話すと「趣味はなに?」と聞かれて答えても話が続かない、、、と。
確かに日本で近年、コミュ障という謎のことばが生まれたのもそのあらわれかもしれません。
コミュ障の中でヒンディー語をやってますなんて言えば拾ってもらえないかもしれないです(笑)でも場合によってはインパクトはとても大きくて会話のきっかけになります。たいていの外国人や日本人でも経験豊富な年配の方や会話慣れしている方は面白がって聞いてくれます。
「なんでヒンディー語を始めたのか?」、「インドには行ったことがあるのか?」、「インドの文化で好きなことは何?」などなど。
小さなことかもしれません。
ただ、これってなかなか珍しい個性なんです。
個性があると会話した人に忘れられない一人になれるのです。
私はそのおかで就職活動もどきで参加した日印で活躍する方々の交流会に参加した時も経験は全くなかったのですが、後日、声をかけていただくことができたり、バイト先の常連さんにも「ナマステちゃん」と愛称をつけてもらって卒業した今も話しの種にしてくださります。
若者は特に経験もあっても限界があると思います。私はヒンディー語という点数化されない個性を持つことで小さな喜びが増えていきました。
点数化されていたら今頃どこかで完全なツールに過ぎないものになっていたか、ヒンディー語そのものにくじけていたと思います。
少しでも多くの人が言語を十分、味わうことができるといいなあと願うばかりです