フィジー 私のこと

世界一幸せな国で見たインド文化

投稿日:2020年7月16日 更新日:

フィジーって?

フィジーという国を聞いたことがありますか?

オセアニアに位置する国です。

何度も世界主観的幸福ランキング1位を獲得しています。(実際に「ここはフィジーだから今日も幸せ」という人が多くて驚きました)

ここには原住民のフィジー人とインド系フィジー人がいます。そしてインド系の人が約4割をも占めています。

そこには歴史的な背景があります。

イギリスがインドを植民地支配していた頃、ここフィジーも支配していたのです。そしてさとうきびのプランテーションのためにインドからフィジーに多くの人が移住させられました。その時、移住した多くの人がその後も定住するようになったのです。

今日はリゾートではないリアルなフィジーの一面をまとめてみました

フィジーに見られるインド文化

フィジーでは食事もお菓子も服も言語も何もかもインドの様子をうかがうことができました。

街の定食屋さんではリーズナブルな美味しいカレーが食べられました。

この盛り付け方もなんだかインドにありそうですよね(笑)

ただ、べジ、ノンべジの違いはインドほど明確に書かれていなかった気がします(←少し遠い記憶を掘り起こしてます)

そして服やアクセサリーショップもたくさんありました。

ヒンディー語の文字が見られる店もたくさんありました。

ヘナをやってくれるところももちろんありました

お寺もありました。

ザ・インドという感じのカラフルなお寺がちらほら見られました。

エリアによっては朝にはモスクの音も聞こえました

ただ、これはお寺に限ったことではないのですが、比較的空いていてインドのような人口密度はあまり感じませんでした。

落ち着いてゆったり楽しみました

私がフィジーに興味を持ったわけ

フィジーというとどんなイメージがありますか?

一般の方なら、リゾート?学生なら安価な英語留学?

私はどちらでもありませんでした(笑)

2つのきっかけです

1、一般教養の授業で「未来学」というものに触れたこと

担当の教授は「パラオ」が専門の方でオセアニア諸国について興味深い説明を聞きました。また、当時の私は「移民」という存在に興味があったため、インド内よりも世界中にいるインド人に興味がありました。

そんな時に偶然、授業の中で「フィジー」という存在を知ったのです。

2、垣根涼介の小説「真夏の島に咲く花は」を読んだこと

この本を読むだけで伝わってくるフィジー特有のゆったりした時間の流れ。

フィジー人、インド人、中国人、日本人という登場人物たちの交流。そしてそれぞれの文化に根付く特徴を見事に言葉で描写してあります。それは偏見という域を超えています。

お互いが葛藤を抱えつつもどこか認め合っているのです。

この小説は本当にリアルでリゾート以外のフィジーをイメージするにはおすすめ中のおすすめです。さらっと読めるうえに何度も読みたくなり、私は今でも机の横に置いています。

真夏の島に咲く花は (中公文庫) [ 垣根涼介 ]楽天で購入

フィジーに行ったきっかけ

私は以前「私が休学してインドに留学以外の方法で行ったわけ」というブログにも書いたのですが、世界青年の船に乗船しました。

この船への選考に合格して1年の休学を決めました。ただ、それは1月から3月頭にかけてのプログラムだったので前後に時間がありました。

さらに、1週間の事前研修という場(8月)で初めて会った人たちと興味や関心について話しました。「私は何気なくフィジーでインターンシップがあれば行きたい」と言っていました。するとある人が「僕、フィジーで働いてます。インターンシップをしていた人、紹介しよっか?」と言ってくれたのです。

すかさず、紹介してもらって約1ヶ月半、フィジーに滞在しました。滞在中、ツバルにも行きました。(←ツバルではクリスマス企画をしました(笑))

行くと決めてから青年の船の先輩にフィジーに住んでいるインド人の方を紹介してもらい、しばらくの期間、ホームステイをさせて頂きました。

フィジーでインド人家族の家にホームステイ

私にとってこれが初のインド文化実体験となりました。

とても濃密な体験ばかりでした。

最初に紹介していただいたおうちは日本人の方の家だったのですが、途中、インド人の方の家にステイしました

そこではまず、私より1年前に青年の船に参加したインド系フィジー人の男の子が迎えてくれました。

そして彼のお父さんの50歳の誕生日パーティーがあるということで、パーティーの用意からコスチューム、ピアスの穴まで至れり尽くせりして頂きました。

大量のお菓子作り1
大量のお菓子作り(2)
大量のプリ作り

エージェント会社などは無しでの訪問でしたが、まるでスペシャルプランに参加したような気分でした。

皆さん、穏やかで当時、つたないヒンディー語、英語しか分からなかった私とたくさん話してくれました。

オーストラリアに働きに行っている人やオーストラリア人と結婚する人も結構多いようで、外国人としての壁をあまり感じませんでした。

また、フィジーではフィジー人とインド人が会話する際には英語が使われるため、現地の人たちは英語もヒンディー語も堪能な方ばかりです。

ヒンディー語実践の第1ステップとしても本当に助けられた環境でした。

とにかく景色が良く、目覚めるだけで幸せでした。

自分もパーティーで何かお祝をしたいと考え、特設ステージでベリーダンスを踊らせて頂いたりもしました。みんな、ビデオを撮影してくれていたので、写真がないのですが思い出の一コマです↓

初ヒンディー語スピーチin front of ネイティブ

最後には村を離れることが本当にさみしかったです。

たくさんのインド衣装やアクセサリー、サンダルなどのお土産も頂いて本当に心も荷物もいっぱいでした。

最後にはこの家の父さんが冗談で「花婿も用意しておくから戻ってきてよ」と言ってくれました。このお父さんが特にたくさんの話をしてくれて、気付きを与えてくれました。そのため、心のどこかで本気で用意してほしいと思った私でした(笑)

私が考えるフィジーの美しさ

今回のブログでフィジーに存在するインド文化を感じてもらえたでしょうか?

もちろんフィジー文化も素晴らしいのでまた書きたいと思います。

インドやヒンディー語というとどうしてもインド現地の事ばかりが話題にされがちですが、インド人の特徴でしょうか?海外に行っても彼らの文化を守り続けている方が多いように感じます。特にフィジーは約200年前に移住してきた人たちの文化、言語、伝統が受け継がれています。

そして何よりフィジーで驚くことはインド人とフィジー人という主に2つの文化が様々な歴史を経て今もなお共存しているということです。

多文化社会はいまや、あらゆる国で見受けられますが、2文化が共存しているというのは本当に驚きます。先ほど紹介した本にはフィジーの暗い歴史の部分も描かれていますが、それを乗り越えた今、本当に美しいと感じました。

-フィジー, 私のこと

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