ヒンディー語 外国語 教育

日本語はアートの言語。英語は伝達の言語。ヒンディー語は交流の言語。

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みなさん、言語の比較をしたことがありますか?

私は言語を教える立場になって「ことば」というものの見方が大きく変わりました。

今日はちょっと新しい視点で「言語」の「愛おしさ」のようなものを感じてもらえたら嬉しいです。

※これは私見に過ぎません。

言語の難易度の比較ってどうなの?

難易度の比較は誰でも、一度は気になったことがあるのではないでしょうか?

私もあります。特に英語と日本語しか知らなかった頃は、まるで難易度が全ての言語にあるように思っていました。

〇〇語は簡単。

△△語は難しい。

はっきり言います。一番、おかしな視点です。

私も聞かれると答えますが、はっきり言って、比較の基準なんてありません。

あえていうなら自分の母語に「どれくらい似ているか」という視点しか持つことができません。

例えばヒンディー語は「英語より簡単」というより「日本語に似ている」部分が多いだけです。

当たり前ですが3言語あると英語の方がヒンディー語に近い概念もあります。

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時々各国のGDPを言うように綺麗な順位を言う人もいますが。

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昔、英語形YouTuberの方が20カ国語話せるとかいう欧米人に言語の難易度を聞いて日本語がかなり上位であることに驚いていましたが、私はいまいちピンと来ませんでした。

もちろん、日本語は難しいですが、難易度はランク付けできるものではありませんし、ましてや母語の違う外国人にこの質問をしているところがズレています、、、、。

今日は日本語、英語、ヒンディー語を比べるのではなく、それぞれの言語にある感じる特徴を見ていきます。

 

日本語はアートの言語

「は?」と思われた方もいるかもしれません。

母語は「当然」になっている部分が多すぎるからです。

私がこの事実に気づいたのは外国語を学ぶようになってだいぶ経った頃です。教える立場になったことによって自信を持って「日本語にしかないアート的な言い方」を捉えることができるようになりました。恥ずかしながら教え始めた頃は生徒さんから質問された様々な「日本語的な言い方」を「ヒンディー語らしく」読み替えることに少し恐れのようなものを感じていました。

ある日、どうしてもわからないと思ったことを自分の先生に聞いたところ、あっさりと「そんな表現ないですよ」と言われたことがあるくらいです。

 

実はこれに非常に近いことを養老孟司も言っていました。

養老さんのおっしゃっていたのはが

日本語は感覚的な印象を非常によく残した言語。それを一番示しているのがのがオノマトペです。しみじみとかつくづくとか<中略>これは英語にも何語にも訳せません。なぜならばこれは感覚寄りな言葉で日本人の文化と感性がいかに感覚によっているか・・・・・・・」

 

詳しく見たい方はぜひ、以下のYouTubeを見てみてください。サムネに品がないですが内容は深い笑

 

私は以前から、どんなに外国語に慣れても、どんなに外国語で情報収集をするようになっても、どんなに外国人の友達が増えても自分自身を感じる時には日本語のアートに触れたくなります。

心の心底に響く「歌詞」、「詩」、「小説」

初めは自分の母語だから響くものがあるんだと思っていました。

でもそうではないようです。

「感性を表す言葉」の特徴があるのです。

英語は伝達の言語

英語は慣れると便利だなぁと思います。

可能なら「仕事は全て英語が良い」と思うくらい。(もちろんヒンディー語を教えるときは違いますが笑)

理由は無駄がないのです。

敬語もないし。感覚もないし。

日本語のように語尾だけで「ひどい!」とか「愛想ない!」とか感じなくて済むのです。

伝達に無駄な感情を交えなくて良いので、楽!すぎます。。

 

でも日本人からすると、表現の少ない英語は「言えない!!」と思うことがよくあると思います。

それは日本語を直訳しようとしてしまうからです。適切な訳が自然にできるようになるには、日本語の読み替えをしてくれる先生に出会うか、英語に触れまくって日本語にない概念を気付くかしかありません。

 

でも、一つ面白い話をシェアします。英語以上に表現の少ない言語はたくさんあるようです。

今まで、インド人とアゼルバイジャン人にこう言われました。

自分の言語より、英語の方がいろいろな事を表現しやすい

初めて聞いたときは衝撃と僅かなショックさえもありました。

なぜなら、私がヒンディー語を勉強していた頃のモチベーションの一つはヒンディー語が母語の方の心に話しかけやすいと信じていたからです。まぁ、後にヒンディー語で話した方が圧倒的にフレンドリーになってくれることを経験したのでそのショックは今はありませんが。

ヒンディー語は交流の言語

これは言語の与える印象とはちょっと視点が違うのですがヒンディー語の大きな特徴です。

ヒンディー語の単語はインドの地理的なせいか、かなり多くの外来語があります。

ウルドュー語、アラビア語、トルコ語、はたまたポルトガル語由来の単語もあります。

今はヒンディー語をオンラインやインドで聞いた方はお気づきのように英語が入りまくっています。

 

私はこの事実をヒンディー語の歴史の授業で初めて知りました。

でも辞書を見れば由来が書いてあります。

もっというと時々インド人でこんなマウント?を取ってくる人がいます

「それ、ヒンディー語じゃないよ。ウルドューだよ」

(これが私は大嫌いです笑)

由来がわからなくなるくらい、ヒンディー語に馴染んでいるのです。

よく、shukriyaとdhyanyavaadの違いを聞かれたりしますがこれはウルドゥーとヒンディー語なんです。

でも、どっちかしか使ってはいけないわけではないのです。

 

言語はお金と似ているところがあると思います。使われるからこそ価値が生まれるのです。紙切れをお金としてみんなが使うように言葉も音のまとまりを使ってるだけなんです

 

誰かがウルドゥーとヒンディー語両方混ぜて話している時点で、それも真っ当な言語なんです。

 

日本語も外来語はありますが、ヒンディー語に含まれる外来語の量は半端ないのです。

時々、そんな言語の特徴に気づいたとき、私は歴史の動きを感じられてうれしくなります。

昔、誰かが貿易したとき、戦ったとき、友達になったとき、インドにヒンディー語に新たな言葉が持ち込まれたのです。まさに人々の交流がヒンディー語を築いてきたシーンを感じます。大袈裟かもしれませんがそんな悠久に浸る日もあります。特にアゼルバイジャン語をかじったときは同じ単語の多さに感動しました。

 

日本の初等教育での英語について思うこと

冒頭にも言いましたが言いますがこれは私見に過ぎません。

この話題を見るとよく、こんな議論が目に入ります「日本語もわからん子が英語をやるなんて。」

私はこう思います

「論点はそこか?」

さっきも少し言いましたが言語は所詮、「音の塊」なんです。

だから、どっちかを学んだらどっちかに悪影響なんてないと思っています。

実際、子供の頃からバイリンガルやトリリンガルで何不自由なく生きている人に出会ったことが何回かあります。

大事なのはそれぞれの言語の特性を意識した教育ができるかだと思います。

 

今の時代、英語が必須なのはいうまでもないと思います。もはや英語が話せることが強みとかではなくなると思います。人も物も情報も行き来する速さがかなり早く、最新情報を入れようと思ったり、適切な判断をしようと思ったら英語が欠かせなかったりします。また、情報や価値観の多様化に伴って日本人以外の人と協力した方が、心地よく、スムーズに進める人も増えているはずです。

「英語が分からない」というだけで、正しいか正しくないかよく分からない大人の翻訳した言葉を聞くしか術がないというのは見方によれば子供の権利の迫害です。子供にも一次情報を取り入れられる人になるべく早くなってほしい。

 

インターネットが普及して間もない頃、よく先生に言われました

「ネット情報は信用性が低い」

今になって思います。「では先生の言葉が正しく、無駄のない道に導いてくれたか?」

私は悲しいことにNOだったことがたくさんあります。

「国立大学は絶対受けないといけない」とか「10時間勉強しないと大学に落ちる」とか怖い迷信をいう大人はたくさんいました。私の両親は自由にさせてくれましたが、学校という機関に洗脳されました。もう少し自分で「疑って調べる」作業ができる子であるべきでした。

 

現代の子供には同じようなことになってほしくありません。自主性のある人を育てるための英語教育なら嬉しいです。

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では日本語は?感性を育むために必須です。それは家族という一番身近なチームとの絆を強めるきっかけにもなりますし、誰かと協力するときに相手を思いやるきっかけにもなります。そして、私たち日本人の心を本当の意味で癒してくれるのはやはり日本語のアートだと思います。

最近は小説や漫画より自己啓発やHow to本ばかり読む人

邦楽をすっ飛ばして洋楽だけ聴く人

ポエムなんて興味ない人

はたくさんいます。何人か本当に出会ったことがあります。が、それはちょっと違う気がします。

まず、自分の心を落ち着かせる場所はやはり日本人の私たちは日本語のアートなのです。

感性を生かした言語なのになぜ、How to本の読解で終わるのでしょうか、、、もったいないと思います。

 

少し横道にそれますが日本はメンタルヘルスの概念がまだ乏しい。宗教によりどころを求める人も少ない。その上、先人たちが心を癒してきたであろうアートをただの伝達と思考のツールで捉えるのはあまりにも残酷です。

子供たちには日本の小説や漫画、ポエムといったアートをいかに楽しみながら触れてもらうか。

そんなきっかけを私たち大人が与えるかが大事なんだと思います。

子供に「小説を学ぶ意味」を聞かれるようなつまらない授業だけで終わってはいけないと思います。

もしくはその子がその小説を気に入らないならその子供の好きな漫画でも良いと思います。

子供に何かを教えるとき、一番気をつけたいこと

2点。

  • 「苦手意識を生まない」
  • 「興味を持たせる」

正直言って今の日本での教育はこの真逆を行っている気がします。

 

学ぼうとする子供に「〇〇は難しい」「あなたはできない」という意識を育んでしまう事ほど、大人の罪はありません。実際、本当はできるのに「できない/苦手」と思い込まされている人はたくさんいます。

特に小中学校は一つの正解を教えるために教育があるのではないと思います。興味を育んで自らの気づきの機会を増やすことが大切だと思います。

子供と交流するときはそんな意識で自分の経験や知識を共有したいなぁと思います。

 

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長くなりました。最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

少し前にポッドキャストで「小説のチカラ」というポエムダイアリーを発信しました

よかったらこちらもよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-ヒンディー語, 外国語, 教育

執筆者:


  1. nozomi obinata より:

    めっちゃいいコラムありがとうございます。勉強になりました。。!!!

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